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ネパールの歴史  管理人の文章【6】 
中国「戦わずにネパール自治区ゲットするチャンスきた!」

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中国「戦わずにネパール自治区ゲットするチャンスきた!」 2015/5/7
中国(´・ω・`)大災害で大変やろー?
インフラ投資銀行が、お前らに金を貸すででー


ネパール(´・ω・`)やったー ←王政廃止済み

ブータン(´・ω・`)←領土既に削り取られ済み

他の周辺の国々
(´・ω・`)←既に消滅して中国かインドに併合され済み


中国(´・ω・`)(次はネパールゲットだぜ!)


弟子(´ω`)(´ω`)提督、ネパール存続の危機に立たされていませんか?
というか、インドと中国との間にある国だから、消滅したかつての国々と同様に、将来的にどっちかに併合されそうですよ?

先生(´・ω・`)昔から、中国はネパールに長く工作続けて、色んな事件起こしているからね。
そりぁ、この大災害を見過ごす訳がないさ。
毛沢東派がネパールの王政を廃止させた時点で、中国の影響力が強い国って子供でも分かるだろう?
王政を廃止するのに一番良い方法は、無能でクズなやつを王様にするのが一番てっとり早いんだ。


ソースの一部

 【バクー共同】ネパールのマハト財務相は4日までに、大地震で壊滅的な打撃を受けた同国インフラの復興に向け、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)へ支援要請することを明らかにした。実現すれば、今年中の設立を目指すAIIBの最初の支援案件となる可能性がある。

アジア開発銀行(ADB)の年次総会が開かれているアゼルバイジャンの首都バクーで、共同通信の単独インタビューに応じた。

マハト氏は、道路や政府施設などのインフラ再建に向けた投資に、AIIBの協力が必要と強調。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/international/international/1-0130512.html



(´・ω・`)結構、きな臭い事になっていて大変な国な件。
日本で例えたら、天皇陛下とその後継者達が皆虐殺されて、天皇陛下の弟が後を継ぐようなもん。(醜い後継者争い)


ネパール王族殺害事件(ウィキペディア)

 公式発表による事件のあらまし
国王ビレンドラの末弟・ディレンドラ王子(銃撃されて負傷し、事件の3日後に死亡)の娘婿で、現場に居た国軍のシャヒ大佐の証言を元として、6月14日に政府の調査委員会が国王に提出・発表した
かねてより、ディペンドラ王太子は結婚(希望)相手であったデブヤニ・ラナについて国王や母・アイシュワリャ王妃らに反対されていた。特に王妃はラナ家と敵対関係にある家系の出身であったため、強く反対していたという。6月1日に開かれた王族の晩餐会(毎月一回定例で開催されており、この事件によって初めてその存在が明らかになったという)でこの問題が話し合われ、結婚に反対する国王と王妃は、王太子の王位継承権を剥奪するとまで発言した。部屋に戻った王太子は再び会場に現れると銃を乱射、自身も直後に銃で自殺を図った。この事件により、ビレンドラ国王夫妻、第二王子ニーラージャン、王女シュルティ、王の姉シャンティとシャラダ、シャラダの夫、王弟ディレンドラ、従兄弟ジャ先生ティーの9人が射殺された

疑惑
この事件はあまりにも突発的な上、公式発表および政府のその後の対応においていくつかの不可解な点があるとされる。
王族が全員集合していたのにビレンドラの弟・ギャネンドラだけが欠席していたこと[3]。
事件発生当時、ギャネンドラは地方視察の途中で、ポカラの別荘に滞在していた。
出席していた王族の中でもギャネンドラの家族が全員生き残ったこと。
息子のパラス王子は無傷[4]、妻のコマル妃も足を負傷したのみ。シャヒ大佐の証言によれば、パラス王子は女性達を背後にかばって「英雄的働き」をしたという。
周囲を警護していた国軍(入室は許可されていなかったという)が物音に気づかなかったという点。
ディペンドラの不自然な自殺の仕方。
銃による自殺でとされるが、弾丸が後部から入っており実行しようとするとかなり無理な体勢をとらなければならない。また、銃弾は右利きだったディペンドラの左側頭部から右側頭部にかけて貫通していた[5]。
死亡した王族の葬儀が性急かつ非公開で行われた点。
通常、国家元首や王族が死亡すると外交的にも国内的にも大々的な式典がおこなわれる(昭和天皇の大喪の礼など)のが通例だが、本事件後はそういった儀礼が一切なく、また国民にも非公開のうちに事件後数日で行われた


(´・ω・`)やったー 王族がほとんど殺されたから、弟の俺が王様になれたー
政策がスムーズに進まないから議会廃止!専制君主に俺はなる!

ネパール(´・ω・`)内戦激化したから、王室を2006年に廃止

(´・ω・`)そんなー

数少ない生存者であるギャネンドラは王位についたものの、いつまでたっても政党間でいがみ合いらちのあかない議会政治に失望し、また毛沢東派勢力の制圧が進まないことを理由に、同年11月26日に非常事態宣言を発令して議会を停止し、内閣を側近でかためるなど専制的な政策をとった[21]。
だが、只でさえ不人気で人望の無かったギャネンドラは結局、この事で国内外からの強い反発を招き、マオイストによるネパール内戦を激化させたばかりか、2006年4月の大規模な民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)への引き金を引いてしまった。結果、同年5月18日に国王の政治的特権はすべて剥奪され、元首ですらなくなった。

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