(´・ω・`)当時の超大国清相手に、どうやってイギリスが阿片戦争で勝利したかのスレだね。確かに、物理的に地球の裏のような距離だし、そんなに大軍が送れない事を考えると難易度はかなり高いか。
(´・ω・`)・・・当時のGDP1位の国がフルボッコか。なに、それ怖い。
7:世界@名無史さん:2008/09/14(日)
03:48:10 ID:0
>>1
当時の中国は水運が国家の命運を握っていて、首都北京への食料の
流入も水運でまかなわれていた。
イギリスはその海軍力で北京への食料流入をストップさせたので、
清王朝はどうしようもなくなったのさ。
ちなみにこの教訓は日本にも伝わっていて、たった4隻の黒船に
江戸幕府が震撼したのも同じ理由で、水運による江戸への食料流入
を食い止められる位置にペリーが鎮座したからだ。
140:世界@名無史さん:2008/09/22(月) 01:54:00 ID:0
>なぜイギリスは清に勝てたの
戦略的な理由としては>>7の言ってることに尽きるんじゃないの?
というか、当時のイギリス側の、あるいは現在の欧米軍事史の「合理的」な判断はそういうことだろうな。
ただ当時の清朝側の状況認識や意思決定が、
そういう西欧流の「合理的」なものさしで計れるものだったかどうかは若干疑問の余地があるな。
ロジスティクスの考慮とか経済上の利害得失の計算とかに、
どの程度プライオリティが置かれていたのか?
当時の中国人の政治文化的に? って疑問だな。
(´・ω・`)ああ、敵国内の補給を抑えたのか。結構、考えて船を置いているんだね。
少数でも、その少数が超チート戦艦なら、要所を守れますし。
(´・ω・`)ちゃんと補給が絶てるように考えた上で、船を置くっていう視点が新鮮すぎて和んだ。
2:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 00:46:23 ID:0
・少数民族の女親族が圧倒的多数の漢人を支配する無理がある政治形態(オーストリアやオスマンより酷い)
・臆病な皇帝(外国船が北京に見えただけであっさり林則徐を解任)
・足を引っ張る腐敗した官僚達
・イギリスの出方を見る前に軍隊を解散させた事
・講和条約が温く、大した痛手でなかったので清が妥協。
林則徐の言うとおり内陸部で勝負を掛ければ100%勝てただろうに
もったいない。
38:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:06:24 ID:0
しかし、元々4000の兵だけでしかも10%も死んでいるのに
良く勝てたな。イギリスは
40:世界@名無史さん:2008/09/14(日) 13:10:42
ID:0
>>38
持久戦になればイギリスは敗退する運命だっただろう。
ただ江南の役人から送られてくる賄賂が滞ってて、そもそも阿片の禁輸政策そのものに反対な官僚すら多くいた訳で
他の官僚がすべて親イギリスの中で、林則徐一人奮闘してもどうしようもない。
(´・ω・`)とりあえず、わかった事は、清という国そのものに無理な要素がたくさんあって、味方同士での足の引っ張り合いをして、膨大な国力をまともに運用できなかった。
一方のイギリスは、陸戦に持ち込まれたら、元々の兵力差と遠すぎる補給路のせいで消耗して敗北していただろうけど、戦いが長く続いたら、イギリスが本気だしてインドから兵士を派遣したり、他の国々が次々と参戦していた可能性もあるんだね。
(´・ω・`)それ以前に、貿易が目的で戦争しているから、内陸深くに攻め込むなんて真似をしない可能性があるだけに、清に一方的に不利な戦争って事になるのかな。
どうやっても一番厄介な黒船を撃破できないってなると、海上の通商路を絶たれたまま長期戦になりますし。下手したら、清が支配している民族が独立しようとして内戦になってたんじゃないかな。
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