ソース
http://ja.wikipedia.org/wiki/壬午事変 江華島事件以来、当時の朝鮮は、朝鮮は清朝の冊封国(または属邦[2]
)としての朝鮮のままであるべきであるという「守旧派」(事大党ともいう)と、現状を憂い朝鮮の近代化を目指す「開化派」(独立党ともいう)とに分かれていた。加えて、宮中では政治の実権を巡って、高宗の実父である興宣大院君らと、高宗の妃である閔妃らとが、激しく対立していた。
開国して5年目の1881年5月、朝鮮国王高宗の后閔妃の一族が実権を握っていた朝鮮政府は、大幅な軍政改革に着手した。閔妃一族が開化派の筆頭となり日本と同じく近代的な軍隊を目指した。近代化に対しては一日の長がある日本から、軍事顧問(堀本禮造陸軍工兵少尉)を招きその指導の下に旧軍とは別に、新式の編成で新式の装備を有する「別技軍」を組織し、日本の指導の元に西洋式の訓練を行ったり日本に留学させたりと、努力を続けていた。
開化派は軍の近代化を目指していたため、当然武器や用具等も新式が支給され、隊員も両班の子弟が中心だったことから、守旧派と待遇が違うのは当然だったが、守旧派の軍隊は開化派の軍隊との待遇が違うことに不満があった。
以下の説明は、『新版韓国の歴史
- 国定韓国高等学校歴史教科書』(世界の教科書シリーズ
1)明石書店2000年による説明と合致したものである。
それに加え、当時朝鮮では財政難で軍隊への、当時は米で支払われていた給料(俸給米)の支給が13ヶ月も遅れていた。そして7月23日にやっと支払われた俸給米の中には、支給に当たった倉庫係が砂で水増しして、残りを着服しようとした為砂などが入っていた。これに激怒した守旧派の兵士達は倉庫係を暴行した後、倉庫に監禁した。いったんこの暴動は収まったが、その後、暴行の首魁が捕縛され処刑されることとなった。そのため、再度兵士らが暴動を起こした。これは、反乱に乗じて閔妃などの政敵を一掃、政権を再び奪取しようとする前政権担当者で守旧派筆頭である大院君の陰謀であった。
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前に見た女性誌の漫画で名君居たとか言ってたんだけど居たんですか?
返信削除しかし近代で給料米かw手に入れたら例によって隣同士で盗みあうのかな。
>前に見た女性誌の漫画で名君居たとか言ってたんだけど居たんですか?
削除セジョン大王(´・ω・`)俺とか、俺とか、俺とかいるんやで。
ハングル文字作った!
李氏朝鮮(´・ω・`)ハングル文字!?廃止な!宗主国様の文字が一番だろ!
セジョン大王(´・ω・`)
そりゃまあどこの王朝でも相対的な意味での名君はいるでしょう。
削除他の歴代君主よりはクズじゃないって程度は当然あります。
息子を米びつに閉じこめて殺したり、
簒奪して甥やそれに反対した家臣を皆殺しにしたり、
後宮内の争いで母親を殺されて、後に即位すると復讐で虐殺したりとか、
そんなのに比べれば、まだしもまともなのはさすがにいます。
かの国場合、無気力で何もしない君主が名君だと思われる。
削除意欲を持った場合、大概悪い方向か斜め上の熱意で、
持たない方がマシというオチ。
李氏朝鮮は党派争いの殺し合いで忙しくて政治をやってる暇なんか無かったんです。
返信削除当然兵隊のことなど考えてる暇は有りません。
何代目だったか、かろうじて政争を押さえた王がいたので、
しいて言えばその人が名君なのかな?
サンクスです
削除まあ居てもあの民度じゃ無理ゲーですねえ
派閥抗争の延長で軍政やったらダメってはっきりわかんだね。
返信削除こういう事態をさけるために統帥権の独立があったんだろうことを考えると複雑だなぁ。
それにしても、閔妃の動きがわかりづらい。
この頃はまだ親日本で、親清になるのはもう少し後の大院君排除した後だっけ。
日本の場合、統帥権独立自体が(軍による)派閥抗争に利用された感あるけどね・・・
削除十数年前に朝鮮王朝実録って本を読んだけど、
返信削除印象に残ったのは派閥抗争による陰湿な足の引っ張り合いと、
陰惨な殺し合いだけ。
どんな政治制度、政権でも多少はそう言う面があるが、
それしかないってどんなだよ。
高麗の時代はまだしもまとも人も居たんだけど。
秀吉の侵略の意図を探りに使節派遣までは良かった。
それはまともな頭が有れば誰も考えやること。
正使と副使を対立派閥から選んだのはまあ仕方がないかもしれない。
問題はそれで足を引っ張り合ったこと。
実は自分も同じ意見だけど、相手がAって言うから非Aって言うと言う。
情報収集の意味がねえ。
なんてことを王朝開闢以来滅亡までの数百年かずっとやってたわけです。
なんでそれでもっと早く滅ばなかったのは世界の七不思議のトップ級の謎。
派閥闘争やっても、宗主国の中国相手にした場合の過激独立派と融和派の対立というのはなかったんじゃないかと。
削除中国の属国である以上中国が滅ぼす意味もないですし、陸続きは中国だけですし。
実際豊臣軍がやったみたいに朝鮮単体なら滅ぼそうと思えば簡単に滅ぼせるレベルではありました。
戦艦ポチョムキンっていう映画で似たようなことを見たな。
返信削除平安貴族も政治なんかしてねえってよく揶揄批判されるけど、
返信削除李朝の貴族に比べればよっぽどまじめに政治やってたよ。
あいつらマジで内政とかなんもしてないもん。
平安貴族は派閥抗争で負けても命まではとられなかったしね。
菅原道真・源高明・藤原伊周あたりなんか、
李朝なら間違いなく死刑ないし獄死でしょう。
流罪でも形式上は左遷と言うぬるさ。
失意で寿命が縮まった可能性は高いだろうけどね。
すごい初歩的な質問なのですが、歴史的に朝鮮が事大のみしかやってないように見えるのはなぜでしょうか?
返信削除地理的には事大しなければならないことは解るのですが、事大している間に国力を高めるといったようなことをしているのが見えないような気がするのですが?
国より自分の所属集団(家、部族など)が大事というのは近代以前だと当然
削除国力を上げるという行為は自分の所属集団にはプラスにならないことが多いから仕方ない
それでも普通は誰かが危機感もって国政改革を始めるんだけどな。
削除巧くいくかどうか、やらない方が良かったりとなんてことは別にしても。
統一新羅で国政改革がぽしゃって以来、ぐたぐたのままに新羅滅亡。
高麗末期に元坊さんがなんか始めたみたいだけど、抵抗勢力に叩きつぶされ、
そのまま滅亡へと一直線。
その後はマジでなんもやってないんでないの。
無能すぎるは両班ってやつは、あれこそ世界最悪の寄生虫種族だな。
そして韓国人の9割以上が、その超絶無能害虫両班の子孫を自称(真偽不明)
返信削除まっ、現状は推して知るべしと言うか。
現在でもかの国では魚を高く売りつけるために、
返信削除魚に水やら鉛やらを注入することがありますので・・・
獲るときは獲るときで漁獲量を少なく報告したりね
朝鮮の不幸は統一政権の存在が足の引っ張り合いの理由にしかならなかったことだと思うわ
返信削除地方分権的な感じなら自分の所属集団のことだけしか考えてなかったとしてもある程度発展してたと思われる
せまいうえに平らなところだし、統一政権の成立は地政学的必然だよ。
削除群雄割拠が起こっても、すぐにその中の強者が他を征服できちゃうから。
地域対立の話で「新羅と百済がどうたら」なんて出てくるけど、
そりゃ千年以上前の話でしょ。
いつまで引きずってんのよって、あきれるしかない。