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日本の歴史 戦国時代【2】-【10】
織田信長は桶狭間の戦いでどうやって勝利したの? → 真正面から突撃したら偶然、今川軍本隊だった。【1560年6月12日】

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織田信長は桶狭間の戦いでどうやって勝利したの? → 真正面から突撃したら偶然、今川軍本隊だった。【1560年6月12日】  2014/1/20

戦場 尾張国桶狭間
●織田軍 兵力3,000 - 5,000人
●今川軍 兵力25,000 - 45,000人



(´・ω・`)桶狭間の戦い。
それは色んな作品で織田信長の少数の軍勢による奇襲攻撃で、今川軍の本隊を攻撃し、今川義元を討ちとった戦として有名だけど・・・・地理的に奇襲するの難しいんだ。
●テンプレ → 今川軍の背後にある太子ヶ根にひっそり登って、そこから奇襲攻撃した(キリッ

●そこに到達するまでの道は、今川軍が陥落させた砦から見えるからバレバレ。
●鎌倉街道を二度横切る必要があるけど、鎌倉街道は今川軍が制圧済みだから、通過したらばれる。

●桶狭間の奇襲説は、江戸時代になってから登場した。
小瀬甫庵って人間さんが書いた創作小説が元ネタだと判断されている。。



(´・ω・`)だから、第一級資料【信長公記】通りの戦だと、以下のようになる。
織田信長「ゆおおおおおおお!!!!!兵力差がやばいいいいいい!!!!
この絶望的な差を覆すために敵の先鋒隊を撃破して逆転するために頑張るよおおおおお!!!
正面突撃イイイイイイイイイイイ!!!!!!!」

今川義元「虐殺されてゆんやっー!」

織田信長「・・・・ゆっ?
先鋒隊部隊だと思ったら、本隊だったよ!
ラッキーだねぇ!」

今川「とても運が悪い遭遇戦になってしまった有様だよ。」

(´・ω・`)たまたま、攻撃したら今川軍本隊だったから勝利できちゃったという形になるんだ。
おお、運が悪い悪い。

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7 件のコメント:

  1. ノブナガ陣営に未来知識を持ったオリ主が漂流していても不思議じゃ無い。

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    1. いやぶっちゃけ、信長に現代人が憑依したオリ主に同じ事やれって言ったら泣いて逃げ出すと思う。
      というかそれを小説化したらご都合主義バリバリで信じてもらえないLV。

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  2. ドラクエみたいに細長い隊列1万人程組んで白人と戦おうとしたら
    100人くらいくらいのスペイン人に横から王様攻撃されて負けたインカ帝国もいるから
    そういうこともあるんじゃねーかと

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  3. 史実は戦記物で書いたら大顰蹙買うだろみたいなラッキーが割とあるからねぇw

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  4. 実は川越合戦や木崎原、あるいは厳島や今山の合戦、桶狭間と同等、あるいはそれ以上の大逆転の合戦は数多い。共通しているのは情報を制し、寡兵ではあっても状況を作り上げているところ。大名を討ち取ったのは出来過ぎだがそれほど異常な結果というわけでもない。本隊は5000ほどだし、そこに3000で奇襲成功させれば妥当な結果ともいえる。信長公記は確かに第一級の資料ではあるが明らかな矛盾や錯誤あるし、意図的とも思える描写もある。まあありていに言えば太田さんは結局のところ信長さんの家臣だからプロパガンダ的な部分を容認してるのです。
    襲った部隊がたまたま敵に本隊だった? 5000潰しても20000ほど無傷なら意味はない。信長はそこまで馬鹿じゃないでしょう。様々な情報で敵の本隊の位置を正確に認識してたとは言えず、つまりは内通者がいたとは言えず、それで劇的なストーリーでそこらへんを曖昧に隠したと睨んでる。

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  5. 信長公記読んだら俗説と大体逆のことばっかり書いてあってビックリする
    桶狭間では物見なんか出すなって言ってんだよね信長
    戦国時代の物見は損耗前提だからただでさえ少ない兵力を減らさないために物見を出してないんだよね
    だから目の前の敵が本体だと気づかなかったんだ

    しいて今川側の失策を上げるならベテランが揃いすぎて特に作戦とか立てなかったんだよね
    全員経験で自分が何すればいいか分かってたから
    信長側は間違った情報をもとにしたとはいえ明確な指示出してた
    だから想定外の事態に自失した今川勢に対して信長勢は優勢に攻撃的たんだ

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  6. 織田・今川の総兵力はそれほど差がなかったっていう説は見たことある。
    双方国境沿いの支城・砦の攻防戦にかなり兵力を割いてて、織田方は残った機動戦力をかき集めて
    行軍中の部隊を襲撃して一撃離脱を意図してたら大金星!みたいな感じだった。

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