(´・ω・`)とりあえず、最後まで読んで、徳川家康が成功するための踏み台とか、そんな感じに思った。
一休さんの時代なんだね。
3:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 01:11:48
室町幕府は鎌倉幕府の体制に対する反動にしか過ぎなかったから
11:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金)
10:24:42
>>3
反動というより、得宗専制の事実上の簒奪を企んだ朝廷・足利家双方の企みが共に空中分解して挫折した政治的機能不全と言うべきではなかろうか。
(´・ω・`)そういえば、武家と公家が色々とやっていた時代だった。
利害がひとつにまとまらず、全員が失敗して、そのままバラバラの戦国時代になった感じっぽいね。
17:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 09:09:27
徳川は鎌倉と室町 ついでに秀吉の失敗をみて体制をつくっているわけだから
尊氏だって鎌倉の失敗は教訓にしてるでしょうね
それが執権→管領・四職への権力分化なのかな
18:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木)
18:46:23
関東には鎌倉公方なるものをおいて、
自分の息子を遣わし、
母方の親族上杉氏を関東管領なんかに任じて、
逆に争いの火種になってるな。
将軍争い、管領争い、いろんなのが絡まって、
応仁の乱に発展する。
20:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土)
10:35:45
>>18
特定の一族に官職を任せたのが、結果的には混乱の原因に
それを見て江戸幕府は譜代全体に分散させた
鎌倉 執権・連署・六波羅など=北条
室町 管領・侍所頭人・関東管領など
=細川・斯波・畠山・山名・一色・京極・赤松・上杉など
江戸 老中・京都所司代・若年寄など=譜代各家
(´・ω・`)権力を分散することにより、混乱を防ぎ、不満を抑えて、長期的に政権が続くように徳川家康は作ったのかな。
実際に黒船が来航するまでは、普通に政権が持続していましたし、初期からよく考えて作られている気がするね。 |